「三俣山荘撤去問題」について  

――― 三俣山荘・雲ノ平山荘・水晶小屋・湯俣山荘の撤去命令にいたる経緯と裁判の現状 ―――

山小屋地代裁判終結の報告

2005年4月 三俣山荘 伊藤正一

 これまで長く係争中であった私の山小屋に関する訴訟のうち、使用料請求事件(原告、林野側)については、名古屋高等裁判所金沢支所において、2003年3月26日に判決があり、当方の勝利にて判決されたが、もう一つの主要問題である行政訴訟事件(使用不許可処分取り消し請求、原告、伊藤)については、当方の全面敗訴となり、私はこれを最高裁判所に上告したところ、2004年12月7日に最高裁から上告棄却の通達があった。これにより、当方の敗訴は決まり、司法裁判として山小屋地代の「収益方法*注」は適法である事が最終的に決定した。
*注「収益方式」とは、全国国有林内の山小屋に対して、従来の「定額方式」地代を改め、毎年の営業報告書の提出を義務付け、総売上(経費を控除しない額)と設備投資費を報告させ、総売上の1%〜3%を地代として徴集する。)
 当初から私は、この「収益方法」に関しては「納得のいく説明が得られるか、又は裁判において最終的判断(決定)がなされた場合は、それに従う」旨を言明してきた。
 これを受けて私は「今後営業報告書を提出し、収益方式に基づいて山小屋地代を支払っていく所存であること」の書面を富山、中信両森林管理署に送り、2005年2月9日、神谷弁護士と共に長野にある中部森林管理局に赴き、各々の関係者と面談し、新たな「使用許可申請」も認められ、従前通り山小屋を継続経営できることになった。
 思えば長い年月だった。林野庁長官から収益方法の通達が出されてから、何時の間にか20年。裁判が始まってから15年が経過した。
 裁判が終了した今、私がここで言う事は何もない。ただ今日までの長い間、私を支持し、励ましてくれた多くの方々には深い感謝の念を持って以上の事の報告をしたいと思う。
 私個人としては敗訴であったが、やるべき事は最後までやり終えた気持ちであり、また、自分の心に一区切りがついたと思っている。歩んできた道に悔いはない。

「今後の山小屋に思う」

裁判は終わり、私の山小屋も新しく出発する時がきた。この20年間、小屋は増築等できなかったので、先ず全部の小屋の設備改善が急務である。
 たまたま今年は三俣山荘六十周年にあたる。山を愛する人たちと共に「山と、そして人の世」を静かに考えたいと思う。
 山小屋とは何であろうか。それは文明から遠く離れた原始の世界と、現代文明とが表徴的に接触する所であり、また人間と自然との共生を考えさせる場であるとも言えよう。「自然との共生」、それは人類永遠のテーマであると同様に、私と山との係りも永遠に終わらないであろう。

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地代裁判終結までの流れ

林野長官の通達

 林野庁は1981年1月、林野長官の通達によって全国の国有林内にある山小屋の地代を従来の「定額方式」から「売上方式」に改め、1987年から実施すると伝えてきた。

「売上方式」とは

 山小屋に対して毎年の営業報告書の提出を義務づけ、総売上(経費を控除しない額)と設備投資費を報告させ、総売上の1%〜3%を地代として徴収するという。

4つの疑問

1、法律の定めのない営業報告書の提出の要求はプライバシー侵害の疑いがある。

2、総収入に応じて地代を徴収するのは地代とは無関係な徴税行為ではないか。

3、地代を上げたいのなら「定額方式」のままでもできるだろうに、あえて「売上方式」をとるのはなぜだろうか。

4、林野庁は「売上方式」をとった場合の急激な値上がりを緩和するために目標額に達するまで毎年50%までの値上げに留めるとしているが、数年にして地代が20倍を超える小屋が出現することは明らかである。(事実そうなった)

 そこで私は1986年7月、富山営林署宛に次の趣旨の手紙を送った。
「地代の値上げについては必ずしも反対ではないが『売上方式』については憲法違反の疑いがあるので納得のいく説明が得られるまでは応じられない」

林野庁からの撤去命令

 以後何回かにわたって双方のやり取りがあったあとに、1989年3月、林野庁側からの最終的な返事は、私の経営する三俣山荘、雲ノ平山荘、水晶小屋(以上富山県側)及び湯俣山荘(長野県側)に対する「使用不許可」と「撤去命令」であった。これを受けて当方は富山、大町両営林署(後に森林管理所と改名)を相手取って富山、長野両地裁に提訴した。(後に富山地裁に一括合流された)

林野庁の主張と問題点

1、風景も貸している

「山小屋の売上には風景が寄与している。だから売上方式が合理的である」と林野庁。
それならば長野県ではどこからでも国有林が見える。県民は全員が風景料を支払うべきなのだろうか。

2、「土地台帳がない」という嘘

「あまりに山奥なので地価の査定ができない、だから定額方式にはできない」という。
後にこれは真赤な嘘であり「国有林野評価基準」及び「固定資産評価額」などの台帳があることが判明した。小屋主たちはだまされていたのである。

3、アメリカ方式を見習ったという嘘

 また林野庁は言う。「売上方式はアメリカの山小屋の方式を見習った。世界的にこの方式になる傾向にある」と。
 このことは林野側に具体的資料の提示を要求したが受け入れられなかったので、当方独自に1995年〜96年の2度にわたってアメリカの国定公園及び国有林を調査したところ、アメリカで「売上方式」がとられているのは国が自動車道、病院、郵便局、ガス、水道、電気等、すべてのライフラインを完備した高度リゾート地にある宿泊施設であり、ライフラインすべてを自前でまかなっている日本の山小屋とはまったく別種のものであった。また、アメリカでは日本の山小屋のあるような奥地には「ウィルダネス法」(1964年)によって山小屋等の建設は禁止されている。
 林野庁はアメリカにはない日本式山小屋を、さもあるかのように見習ったと言い「世界的傾向だ」とまで云って小屋主たちをだましたのである。


4、 矛盾の積み重ね

 林野庁は売上方式が合理的といいながら、極度に売上の少ない小屋に対しては新旧両方式を比較して地代の高くなる方式で徴収するという。そのため長野県内約100軒ある山小屋のうち、30%は定額方式で徴収されている。これらは極端に収入の少ない小屋及び地方自治体の経営する山小屋である。(毎日新聞調べ)

  私の経営する湯俣山荘もその一つである。高瀬ダム建設工事以来登山者が来なくなったので一時休業していた。したがって収入もゼロである。だから大町営林署からは定額方式で地代請求がきていたのでその通りに支払っていた。なにも問題はなかった。ところが大町営林署は富山営林署に同調して湯俣山荘に対する撤去命令を出してきた。これは法律上禁止されている「他事考慮」に他ならない。

5、独立採算、自由裁量の林野庁

 もともと林野庁財政は独立採算制であり、「地代は林野庁長官の定める方式で徴収することができる」と云う規定がある。しかし、この長官の自由裁量権なるものは無制限に拡大して行使し得るものであろうか。

6、環境庁方式

 一方、同じ国の機関である環境庁は管内国有林内にある山小屋から一貫して「定額方式」地代を徴収している。「なぜ売上方式をとらないのか」の問いに対して環境庁の答えは明解である。

「国がやるべき事業を民間にやってもらっているのだから、その企業を圧迫するような料金のとり方はできない」と云う。

林野行政破綻の背景

「売上方式」が採用された1987年頃、林野庁の累積赤字は2兆円に迫り、第二次臨調で厳しい指摘を受けた。(90年代後半には赤字は3兆8000億円に達し、内2兆8000億円を国の一般会計から補填されることになった)

 こういった状況下で林野庁は大嘘をつきながら数年間に10倍以上もの値上げをもたらす「売上方式」を強行導入したのである。

裁判

 約9年続いた第一審の判決は、1999年12月13日に富山地裁に於いて言い渡された。結果は林野庁の主張を全面的に認めるものであった。

 判決文は長大なものであるが、その中でくり返し出てくる文章がある。それは次のような趣旨のものである。

「原則として私人が国有林内で自由に行動することは禁止されている。それなのに山小屋に対しては特別に土地の使用を許可してあるのだから、管理上必要とあれば、林野庁長官の裁量権は大幅に認められるべきである」と言う。

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 判決文の中では「国有林の管理者」であるはずの林野庁だが、今では山を切り崩し、コンクリートの骨材を採集して売っている。当然のことながら、先に書いたように、彼らが売り物ににしようと考えていた風景も彼ら自身の手によって破壊されているのである。

 現代多くの日本人は、益々煩雑化していく社会生活の中から、自然に憧れ、山に登る。美しくも厳しい山々は彼らに、明日に向かって生きる希望と勇気を与え、生命の尊さを教えてくれるであろう。これは日本人が築き上げてきた貴重な登山文化である。日本の山小屋はそのための人と山との橋渡しをする重要な役割を担ってきた。

 もしも今のような林野行政が将来も続くならば、日本の登山文化に未来は無い。


林野問題の裁判は、2003年3月26日に判決が出ましたが、結果は敗訴でした。